小説『かにみそ(倉狩聡 著)』の感想レビュー。
食欲をそそられるタイトルに、可愛い表紙。
なのにホラー小説大賞優秀賞作。
興味をそそられる。
小説のタイトルにもなったの『かにみそ』と『百合の火葬』の二編収録。
もくじ
かにみそ
あらすじ
全てに無気力な20代無職の「私」は、ある日海岸で小さな蟹を拾う。
それはなんと人の言葉を話し、小さな体で何でも食べる。
奇妙に楽しい暮らしの中、私は彼の食事代のため働き始めることに。
しかし私は、職場で出来た彼女を衝動的に殺してしまう。
そしてふと思いついた。
「蟹、食べるかな、これ」
すると蟹は言った。
「じゃ、遠慮なく」
捕食者と「餌」が逆転する時、生まれた恐怖と奇妙な友情とは。
話題をさらった「泣けるホラー」。
感想
『私』の人物像は、
向上心は特に無く、他人に無関心。
死生観もドライな性格。
たしかに努力していないわけではない。
だが、死ぬほど努力しているというわけでもない。
もし私が親の立場だったら、私のような子供は嫌だ。
何を考えているか分からない、
凡庸な、気が向いた時に働き、
そうでないときは家で無気力に過ごしている二十歳を過ぎた子どもなど。
生き物を飼うという行為の根底には、支配欲と、
いつでもそれを死に至らしめることができるという自負のようなものが漂う。
少なくとも私はそうだった。
だからもし抗われても確実にかてるものしか飼わないのだ。
それに対して、『蟹』は愛嬌のある性格。
最初は小さかったのに体が大きくなるにつれ、
新聞を読み、テレビを見、人語を話すようになる。
身体を自在に変化(巨大化、収縮)できるご都合主義なキャラクター。
私の彼女の死体を蟹に処理してもらった後は、
肉の美味しさに味を占めた蟹と、私は夜な夜な狩りを行っていく。
この辺りの読み応えがある。
そのうち、蟹が単独で狩りを行うようになって、
私の手に負えなくなり・・・
みたいな展開ね。
ホラー小説と銘打っていて、
実際にあったらかなりグロテスクなんだけど、そこまで怖くはない。
本の表紙や、蟹のキャラクターの影響かな?
主人公が人殺しに罪悪感を覚えるところが突然やってきた気がした。
なぜ罪悪感を覚えたのかいまいちわからなかった。
終わり方がなんだよそれ(笑)な展開。
生きることは食べること。
そういうこと。
百合の火葬
あらすじ
父は女をとっかえひっかえしていた男だった。
母も僕が五歳になることには家をでていった。
父だけでなく祖母のいびりもあったんだけど・・・
というわけで僕は父子家庭でそだった。
そして今日、実父の初七日が終わった。
焼香に訪れた清野さんという女性は、
何故か僕の家に居ついた。
母の顔はもう思い出せないけど、
母に近い年齢の彼女が居てくれると妙に安心する。
庭に植えた百合は綺麗だけど帯化した姿は不気味だった・・・
帯化した百合
参考:シャベルと私と野菜たち
感想
父が死んでから現れて身の回りを世話してくれる清野さん。
と、悲しみを吸いとってくれる百合。
が織りなす湿っぽいホラー。
誰しも、悩みや不安、悲しみなどの負の感情を持っているけど、
それを失うのは果たして正しいことなのか?
まぁ、百合は吸い取るだけじゃなくて、殺しにくるからね。
駆除しなきゃならないんだけど、考えさせられる。
感想の感想
コミカルな展開でホラー要素の薄い『かにみそ』。
湿っぽいホラーの『百合の火葬』。
種類の違った二編を楽しめる一冊でした。