『秘密の花園フランシス・ホジソン バーネット 著、土屋京子 訳』の感想レビュー。
陰険金持ち娘、メアリの成長物語!
あらすじ
イギリス植民地時代のインド。
官吏で仕事人間の父と、育児に興味の無いの母との間に生まれたメアリは両親の愛を受けず、インド人の使用人に育てられた。
使用人達は雇い主の子メアリに逆らえずにのいいなりだったため、メアリは、わがままで独りぼっちで荒んだ子に育ってしまう。
とある日、インドで両親は流行り病のコレラで死んでしまい、使用人たちも全員逃げだしてしまった。
放置されたメアリは数日後、父の同僚に発見され、イギリスのヨークシャーに住む叔父アーチボルド・クレイブンに引き取られる。
クレイブン家の屋敷は、荒涼としたムーアの奥地にあり、
自然や動物と触れ合い、使用人のマーサ、その弟で年の近い少年ディコンと親しくになるにつれ、性格面、体力面と良い方向に改善していく。
ある日、メアリは屋敷の庭で壁に囲まれ隔離されている庭園を発見する。
その庭は、叔母が大事にしていた庭で叔母の死後、叔父の命令で閉鎖されていた場所だった。
メアリはその庭を手入れすることにする。
同時期に、奇妙な泣き声の正体を突き止めようと屋敷内を散策していると、叔父の子で親戚のコリンと出会う。
コリンは、医者に永く生きられないと伝えられ、癇癪ヒステリーを起こす子だったが、
メアリと触れ合い、一緒に庭園を再生していくうちにめきめきと体力をつけていくのであった。
やがて季節は春へ移り、屋敷の周りのムーアに花が咲き始め、動物は活動を始める。
そしてメアリと花園を中心に、魔法がかかったような素晴らしい出来事が起こり始める。
感想
横柄で顔色の悪いメアリは親に愛されず、まともな教育を受けていないせいだった。
コリンも似たような境遇。
教育環境って凄い大事だね・・・
環境を選べない子供は死活問題だよ。
メアリは、ヨークシャーに来て、使用人のマーサや庭師のベンと対等にものを言ってくれる大人たちと接することができて変わっていく。
そこに、ディコンという同年代の健康優良児がやってきてさらに相乗効果が発生して・・・
メアリが来なければコリンも変わらなかったし、使用人たちも大変だったし、叔父も元気にならなかった。
メアリはクレイブン家の女神様だよ!
庭園を大人に内緒で秘密基地みたいにして溜まり場にしているの良い。
あと、恋愛にも発展しなかったのがいいね。
純粋な子供たちだけの世界で自分ルールを作ってワイワイやっている感じ。
そんな雰囲気を大人になってから眺めるのがいいんですよ。
オススメ!
メアリたちの成長
「服はだれが着させてくれるの?」
「おめ、服ぐれ着れねの?」
「着られるはずないでしょ」
メアリは酷く憤慨して答えた。
「生まれてから一度だって自分で服なんて着たことないんだから。
使用人が着せてくれることに決まってるんだから」
ヨークシャー到着当時はこんな感じのわがままお嬢様だった。
(やることがないので)しかたなく外へ出て行く・・・。
本人は自覚していなかったが、これがメアリにとっては何より幸いなことだった。
庭の子道や並木道を足早に歩いたり走ったりするようになったおかげで全身の血のめぐりがよくなり、ムーアから吹き降ろす風に逆らって進むうちにからだが強くなっていった。
走ったのは、ただ暖かくなりたかったからだし、顔に吹きつける風、びゅうびゅう鳴る風邪、目に見えない巨人のように自分を押し返す風なんか、メアリは大嫌いだった。
けれども、ヒースの原野を渡ってくる新鮮な風はメアリの肺を満たして全身に好ましい影響を与え、いつのまにかメアリの頬には赤みがさし、よどんだ眼にも輝きが宿るようになった。
自然がメアリを強くしてくれた。
子供は外で目一杯遊ばなきゃダメ!
運動不足の影響でメアリの顔色は優れなかったんだね。
ディコンはとびきりの笑顔を浮かべて部屋にはいってきた。
腕の中に生まれたての子ヒツジを抱き、小さな赤いキツネを脇に従えている。
ディコンの左肩にはナッツ(リス)が座り、右肩にはスート(カラス)がとまり、
上着のポケットからはシェル(リス)の頭と前足が覗いている。
ディコンとコリンの初対面。
動物連れすぎだろ(笑)
真に傑作と呼ばれうる作品があるとするならば、
それは、登場人物の子どもを「無垢」という時代のステレオタイプに還元することなく、
むしろそれを突き抜けて、われわれが子ども時代に経験した、
複雑だが理解することができなかった感情の数々を、
大人の目線でふりかえって理解しながらも「無垢」ならぬ「経験」の存在を感じるものとしてそのままにあらわしえた作品であろう。
『秘密の花園』に登場するメアリやコリンは、まさに「経験」の世界を知った子供として、生きる喜びと悲しみの両方を読者の胸に呼び起こす存在となりえている。
登場する子供たちを、
『無垢』としての鑑賞物ではなく、
『経験』を通して自分を憧憬を得るための媒体とする。
なるほどねぇ