年始より年末の雰囲気が好き。
12/23~31にかけてね。
その中でも、12/26が一番。
クリスマスの余韻と
年末!って感覚が一気に高まるこの感じ。大好き。
25は、まだクリスマスで年末感が無いし、
27になると、クリスマス感が霧消しちゃうんだよな~
もくじ
日本の八百万信仰
年末になると思い知らされるのが日本人の節操のなさというか、懐の深さ。
12/25~1/1の8日間に三宗教もの行事が入り混じっているんだぜ?
しかも、全てにおいて信者でないというオチ。
12/25 クリスマス
キリスト教の行事。
イエス・キリストの誕生を祝う祭。降誕祭。
あくまで誕生を祝う日であって、
イエス・キリストの誕生日ではない。 ←マジでッ!?
12/31 除夜の鐘
仏教の行事。
除夜(≒大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)く行事。
除夜の鐘は煩悩の数=108回撞く。
108にはいろんな由来があるらしい。
1/1 初詣
神道の行事。
神社(寺でもいいらしい)で参拝を行って、お守りやおみくじを引く。
絵馬に願い事や目標を書いたりして、今年一年がよい年であるよう祈る。
昨年のお守りや破魔矢などは、このときに社寺に納めて焼いてもらう。
初詣中に飲む甘酒が美味しいんだよなぁ~
なんでこんなに多宗教国家なのか?
もともと日本は、全てのものに神が宿る。それこそ『八百万の神』を崇める独特の宗教観があるから、
釈迦も、キリストも、アッラーも神々の一人という扱いになってしまう。
そのため、本には宗教が根付かないのだ。
二宮金治郎こと二宮尊徳先生の言葉・・・
仏教、神道、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗などいろいろあるが、
これらは何れも一つの真理へ到達するための道に付いている沢山の入口の名前に過ぎない。
例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば同じ所である。
これを、違う目的に到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りなのだ。
入り口が幾つかあっても、最終的に到達する場所は同じ一つの場所なのだ。
ところが世の中では、
これらを別々な道であると言い真理が幾つもあるかのように解釈されがちなのだが、
もともと仏教思想は紀元前に一人のブッダ釈尊によってとかれたもので、
そうして顕された沢山の教義のなかから根本経典を選び出し、
それぞれの宗派に分かれて守り伝えていっているに過ぎないのだ。
要約
どの宗教に入っても、目指すべきゴール(真理)は同じ。
道筋が違うだけだからどの宗教でもいいじゃん。
まとめ
思想宗教に対して幼少時の洗脳が無いから柔軟な思考ができる。
その点は感謝だよな~
さっ、大掃除も終わったし、温泉でも行って一年の垢を落としてくるか~
良いお年を!!