映画『ハーモニー(なかむらたかし マイケル・アリアス 監督)』の感想レビュー。
伊藤計劃 原作。
小説版のレビューはこちら
もくじ
あらすじ
21世紀後半、<大災過(ザ・メイルストロム)>と呼ばれる世界的な混乱を経て、
人類は大規模な福祉厚生社会を築き上げていた。
医療技術が発達し、WatchMeと呼ばれるナノマシンを体内に取り入れ、
肉体の情報を共有し、体調管理をされ、病気にかかることがほぼ無くなった、強制されたユートピア。
そんな社会を否定したトァン、ミァハ、キアンの三人の少女は餓死することを選択した。
それから13年。
死ねなかった少女の一人、霧慧(きりえ)トァンは、集団自殺事件の陰に
先に死んでしまった少女、御冷(みひえ)ミァハの面影を見る---
感想
映像化されることで小説と違った感想を持った。
キアンの自殺
食事用のナイフで喉元をグサリ。
そこから横薙ぎに振り払って頸動脈をスパっと。
飛び散った鮮血はミァハの顔にまで届く。
こんなん、即刻カウンセリングレベルの映像ですわ。
現実世界の僕らですら嫌悪感を感じるんだから、
死からかぎりなく遠ざけられた生府(ヴァイガメント)の住人たちは・・・
生府住人の髪型と服装
トァンとキアンの再開からキアン自殺までのモブたちを見て。
男性は短髪。
女性は短め多数で眺めが少々。
服装も皆ほとんど同じ。
管理されるってこういう事なのかな・・・
終わり方
原作では、本文中にHTMLににたetmlのタグが要所要所で使用されている。
etmlは『Emotion-in-Text Markup Language』の略称で、
テキストのなかにエモーション(感情)を記す言語として利用される。
それによって、トァンの一人称視点のようだけど、
どこか伝記のような雰囲気を出している。
アニメ映画のほうは、感情を映像として表現できるし、
etmlを所々に表現するのは大変そう。さて、このギミックをどこで表現するのか?
それが本編の終わり方に繋がってくる。
原作の終わり方は(僕の感想になっちゃうけど)、
十数年後、ハーモニープログラムに綻びが出てきて、
ハーモニープログラムからの強制を抜け出した一部の人が、
オールドメディアのトァンの記憶を閲覧しているってイメージだった。
映画だと、広い地下空間のようなところで記録媒体だけ表示されて、人間は誰も居ない。
しかも、似たような記憶媒体がそこら中に存在している・・・
こうなると、トァンの記憶も自主的に保存していたんじゃなくて、
生府のシステムが勝手に収集してたってこと!?
そんな人間の記憶媒体があちこちに・・・
なんか原作よりディストピア感が強まったぞ・・・
まとめまとめ
映画のキャラデザに対して良し悪しがあった。
良:トァンなど
微妙:ミァハなど
見始めれば問題なく見れた。
キアンの自殺描写を結構グロテスクにやってくれた(誉め言葉)ので、
まさか、ミァハの過去も・・・!?
なんて思ってたけどそこは自粛されてた。
良かった良かった。(レーティング上がっちゃうしね)
両方見て、
僕は原作派だけど映画も良かったです。