『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント(ロバート・キヨサキ 著)』の感想レビュー。
もくじ
本の紹介
こんな疑問を持ったことはないだろうか?
たいていの投資家は損を出さないのがやっとなのに、少ないリスクで儲けを出す投資家がいるのはなぜか?
たいていの従業員が転職を繰り返しているのに、独立してビジネス帝国を築く人がいるのはなぜか?
産業時代から情報時代へと移行したことは、自分や自分の家族にとってどんな意味をもつのか?
この本は、どうしたら労働時間を減らして収入を増やし、税金を減らし、経済的に自由になれるか、その方法を教えてくれる。
あらすじ
金持ち父さんシリーズの二作目。
金持ち父さんが提唱するキャッシュフロークワドラント
キャッシュフロー・・・お金の流れ
クワドラント・・・四等分
を用いて、お金との付き合い方を学ぶ本。
キャッシュフロークワドラントって?
金持ち父さんは、職業や仕事内容に関係なく、
収入の形態で四等分した属性からなると考えている。
E employee 従業員
S self-employed 自営業者
B business owner ビジネスオーナー
I investor 投資家
本著は、左側(従業員、自営業者)のクワドラントから
右側(ビジネスオーナー、投資家)のクワドラントへの移動を推奨する本。
感想
個人的には、自営業者だろうが従業員だろうが本人が充実していて幸福であれば良いと思っている。
なんだけど、僕個人の幸福には『金銭的な束縛を受けたくない』という項目があるので本著は参考になるのである。
作者のロバート・キヨサキ氏は、不動産投資で財を成した人。
本著も大筋は『お金を貯めて不動産投資をして、経済的自由を獲得しよう!』って内容。
なので不動産投資に興味が無い人はその部分で退屈に感じてしまうかもしれない。
というか、僕がそうである。
金持ち父さんシリーズは本著で二冊目なんだけど、なんだか読むのが退屈?読み辛い?部分がある。
不動産部分に興味が無いからなのか、全体的に文字が小さい(錯覚?)からだと思ってる。
2001年出版の本ということで財を成すための手法については少し情報が古いな。という印象を受けた。
※改訂版が2013年に出版されてる
ただ、お金に対する心の在り方や、生き方、財を成すための心構えなどのメンタル部分は色あせない。
実戦的手法と、精神的啓発を別々の本に分けてくれないかなぁ?
啓発部分は好きなんだよね。
付箋を貼った言葉たち
千里の道もヨチヨチ歩きの一歩から
まずちょっと無謀かなと思うくらい大きな夢を持つ。
そして、少し控えめな目標を立てて毎日それを実行する。
つまり、いきなり翼を広げて崖から飛び出すのではなく、ヨチヨチ歩きから始める。
達成可能な範囲で毎日の目標を立て、それをやり遂げることができれば励みとなり、
大きな最終目標へと続く道から脱落することもない。
私が言いたいのは、たいていの人の人生は事実ではなく意見によって決められているということだ。
人生を変えようと思ったら、まず意見を変えなくちゃいけない。
それができてはじめて事実が見えてくる。
やせるために大事なのはダイエットそのものではありません。
ダイエットを継続するためにはどんな自分にならなければいけないか、それが問題なのです。
それなのに毎年何百人もの人が「かならずやせるダイエット」を求めて血眼になっています。
彼らはどんな人間になるべきかではなく、何をすべきかばかりに目を向けています。
でも、その人の考え方が変わらなければ、どんなダイエットも効き目はありません。
金持ちの「やっていること」は比較的簡単だ。
ほかと大きく違うのは「どういう人間か」だ。
違うのは考え方、つまり自分自身との対話の仕方だ。
「そんなものを買うお金はない」
「私にはそんなことはできない」
「安全第一でやれ」
「損をしないようにしろ」
「失敗して、それを取り戻せなかったらどうする?」
金持ち父さんがこういった言葉を使うことを厳しく禁じた理由は、
人類が利用できる道具のなかで最も強力なのは言葉だと心から信じていたからだ。
人が言ったり考えたりしたことは現実のものになる。
新しい考え方をし始めた人が経験する試練で一番たいへんなのは、
友人や家族、親せきをはじめ、それこそ数えきれないほどの人から
「そんなことはきみにはできない」と言われることだ。
変化の時には、学習するものが世界の後継者となる。
どのようにして金持ちになったか。
住んでいる国にかかわりなく、次のような特質を持っていることが分かった。
1.長期的な見通しとプランを持っている
2.あとになって報われることが肝心だと思っている
3.「福利の力」を自分に有利に利用する
即効性の解決法を探している人は「何をしたらいいか」を聞きたがる。
大きな富を得るために必要なことを「する」にはどんな人間に「なる」かがまず大事なのに、
それを聞こうとはせず、長期的な問題に対して短期的な答えばかりを求める。