考え方&名言

日常は連続である。区切りって必要?【卒業と出会いの季節】

桜

春は別れと出会いの季節。
今までの生活が終わり新しい生活が始まる。

ちょっと前に、入学を9月にしたらだろうだろう?
という議論を見たことがある。
要は諸外国は9月入学が主流だから、日本も9月入学にしてグローバル化に対応しよう!という話だ。

「9月入学」の議論は、長期的な課題として検討を続ける方針となった。
これまで多くのニュースや資料のなかに、欧米を中心に多くの国で秋入学が主流のため、「9月入学」に変更することで、海外と足並みをそろえ、海外留学の促進や留学生の受け入れ拡大などを通じて大学のグローバル化へ寄与する考えが示された。
しかし、日本の事情や、海外の留学生や留学志向の日本人学生の立場から考えると、9月入学に変わると、本当に留学しやすくなるだろうか。

RIETIより

日々は連続の積み重ね

当時、これ系のニュースをみて、4月が入学の季節!
みたいに思っていた固定観念が霧消した。

なんで、4月が入学だなんて思っていたんだろう?
卒業、入学、一ヶ月、一週間、etc…
区切りなんて人間が作った仕組みに過ぎないのに。

生きるっていうのは連続の積み重ね。
瞬間の連続の蓄積なのに、区切りをつけるってのはなんなんだろう?
メリハリを作るため?
でも、作った区切りに縛られてしまうこともあるわけじゃん?

高校とか大学を卒業という区切りで、り社会に出ても使い物にならないじゃん?
学生と仕事を連続で捉えている人は社会に出ても苦労しないんじゃないかな。

中学一年生で不登校が多くなるのも、小学校→中学校で明確な区切りのせいで環境に馴染めずに不登校になってしまうらしい。
小学校→中学校も連続だったら環境の変化で苦しむ人も少なくなりそうなんだよな・・・

連続で生きる日々

大人になると、区切りが少なくなり、毎日の連続になってしまう。
それでも、昨日より自分は進歩で来ていると感じるし、実際楽しいよ。
でも、納期とか予定とか区切りがあると思わぬ集中力が発揮できるのも事実。

結局何が言いたいのかというと、上手く言語化できないんだ。
『区切りと連続』のこのもやもやした気持ちを伝えたかったんだ。

『区切りと連続』の関係が頭に浮かんだ時から卒業式とか入学式などを素直に祝福ができなくなってしまったのである。

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