日記

サウナ偏愛、サウナランドのコラムが面白い

サウナ

サウナ好きですか?
僕は大衆浴場にサウナがあればほぼサウナを利用する程度にはサウナは好きです。

そんなにわかサウナーのレンゾーですが、
久しぶりにサウナ熱が再燃しまして、
ネットサーフィンをしていたところ、
サウナ好きがサウナ愛だけで作った『サウナランド』という雑誌があることを発見。

その一部が抜粋されweb掲載されていたので読んでみると、
これがなかなか面白い。
サウナで対談しているだけで、内容はサウナとあまり関係なかったりも(笑)

掲載は、新R25のwebコラム『サウナ座談会』より。
第一回:「死を意識したら、自分のやっていることの意味のなさに気づいた」(佐渡島庸平×箕輪厚介)
第二回:【サウナ座談会】「べき」を語り始めたら老害の始まり(明石ガクト×三浦崇宏×箕輪厚介)

第一回の感想

人の在り方というか生き方を説く内容。

「あのね、才能があるということがマウンティングになるんじゃないかと思ってきた。
才能を誰かに見せつけることが。歌が上手いとか」

「才能ハラスメントが起こるってこと?」

「そう。絵が上手いとかマンガが上手いとか。
まあ仕事ができるとかも全部それって他人よりも自分がすごいことを証明することで、悪いこととされてなかったじゃん」

「まあ、それを競ってるわけだからね」

「でも全部もう機械で代わりができるから」

「え、秀でてること自体がってこと?」

「その秀でてることが全て機械で代替されるようになるから本当に」

「才能があるったって機械使った方が上手いし速いじゃんって」

「才能によって補正できるみたいな? 歌が上手くなれるみたいな?」

「そう。もう写真とか歌声とか文章とか、全部いい感じに補正できるじゃん。

だから、”すごい”にはもう意味がなくなってきてるんだよね」

技術的なことはいずれ機会にとってかわられてしまうということ?
じゃ、人間は何を目指すべきなのか?
→真似る

楽しそうにしている人を真似たい、憧れ、愛したいという感情によって動かされるようになる。
好きにあれこれやっている人が最強

さらには、死生観の話に発展。
自分が居なくても会社は回ることが分かった両者は、
「だったら好きなことやればいいじゃん」
という結論に。

諸行無常の中で行き着くのは、創造的で曖昧なものという考え方が面白かった
  創造
   ↑
絶対← →曖昧
   ↓
  模倣

の図の説明が面白い。
上手く自分の言葉に落とし込めないから原文を読んで欲しい!
「死を意識したら、自分のやっていることの意味のなさに気づいた」(佐渡島庸平×箕輪厚介)

第二回の感想

老害はどこからやってくるのか?
という内容。

「なんかね、この雑誌もそうなんだけど、サウナを使って一旗揚げようっていう空気に、俺はもう疲れたし飽きちゃってる。」
「サウナをビジネスにしようとするやつら増えてきたよな。」

サブカルだった文化がメジャーになってきて、古参が嘆きだすの図。

「サウナ老害ってのはやっぱ一定数いるわけよ。」

「いるよ。
で、どうすればいいの?
俺らみたいな新規参入者にとっては、その人たちとの距離の取り方とか大事にする仕方って結構大切なのよ。」

「ローカルガイドだと思えばいいんじゃない?」

「ローカルガイド(笑)」

「旅行するときとかに、例えば
『群馬に今度行くんですけど、明石さんいいサウナありますか?』」って言うと
『俺が教えてやるよ!』って。
老害っていうのは知らないところで騒がれるとうるさいけど、一枚噛むと喜んじゃうから」

「だから、お伺いを立てるように・・・」

「そうそう!」

「最終的に反映しなくても」

「そう!」

老害といいつつ、新参者より知識量は間違いなくあるからね。
こういう付き合い方は大事かもしれない。

「老害って言うからネガティブだけど、森の奥の賢者って思ったら、たまになんかお告げを言ってくるけど、
基本的には2週間に1回ぐらい『なんかここにいいサウナありますか?』って聞いたら喜び勇んで長文送ってくるんだから」

「それで、「サウナランド」が好調だったりすると、「ああ、あいつら頑張ってんな」っていう」

「そうそう! 教えを乞う」

話を通さないで勝手に盛り上がると嫉妬しちゃうけど、
一言声をかけておくと肯定的に見てくれる(笑)

まとめ:興味深い内容だった

興味深い内容の二つだった。
こういう内容が描かれているなら、
雑誌『サウナランド』、読んでみたい!
って思ったけど、書店では品薄、
メルカリなどでは定価の二倍以上の値段。

入手するのもなかなか困難な模様・・・
電子書籍で発行されねぇかなぁ・・・

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