啓発本『DEATH「死」とは何か~イェール大学で23年連続の人気講義~(シェリー・ケーガン 著)』の感想レビュー。
柴田裕之 翻訳。
イェール大学で23年連続の人気講義が、ついに日本上陸!
――人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか――
もくじ
本の紹介
イェール大学で二十年以上、
「死」をテーマにした講義を
続けていらっしゃる、シェリー先生。
そのお姿はまるで、 悟りを開いた高僧のよう……。
「死」という難しいテーマを扱いながら、
理性的に、そして明快に導かれる、
まさに、イェール大学の看板授業!
ぜひみなさんも、
イェール大学に入学した気分で、
世界最高峰の「死」の授業を
お楽しみください。
シェリー教授の冒頭
どのような生き方をするべきか?
”誰もがやがて死ぬ”ことがわかっている以上、
この問いについては慎重に考えなければなりません。
どんな目的を設定するか、
どのようにその目的の達成を目指すか、
年には念を入れて決めることです。
もし、死が本当に”一巻の終わり”ならば、
私たちは目を大きく見開いて、その事実に直面するでしょう。
---自分が何者で、めいめいが与えられた
”わずかな時間”
をどう使っているかを意識しながら。
感想その1
本著は、実際にイェール大学で行われていた講義を書籍にしたものだそうです。
なので、第1章、第2章・・・と続くのではなく、第1講、第2講・・・と各章の区切りがついています。
もくじを眺めてみると、内容は第9講まで。
日本の大学って、一つの講義に出席して単位貰うのに半期で15回程度かかるのに・・・
海外(イェール大学)は週一回の講義だとして、二ヶ月とちょっとで終わってしまうのか・・・
なんて考えながらページをめくっていくと、『日本の読者のみなさまへ』という内容が。
今みなさんが読んでいる日本語訳版は縮約版で、前半のほとんどを飛ばして、さっさと後半に進む。
つまり、形而上学的な詳しい考察のほとんどを省き、倫理と価値にかかわる問題---
死の悪い点や、人生の勝ちと不死についてのさまざまな見方、
必ず死ぬという運命を認めたときに私たちはどのように生き方を変えるべきか、
にまつわる疑問に的を絞るということだ。
け、形而上学的な部分を削ってるだって!?
形而上学的な内容を削ったら、形而上学的に不明点や矛盾点が出て来てしまうじゃないか!
形而上学、いったいなんなんだ?
形而上学・・・だれも到達したことの無いこと(死後の世界など)、証明不可能なことを扱った学問
もくじ
第1講:「死」について考える
第2講:死の本質
第3講:当事者意識と孤独感。死をめぐる2つの主張
第4講:死はなぜ悪いのか
第5講:不死。可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
第6講:死が教える人生の価値」の測り方
第7講:私たちが死ぬまでに考えておくべき「死」にまつわる6つの問題
第8講:死に直面しながら生きる
第9講:自殺
感想その2
上記の中で一部を紹介。
僕が面白いと感じたのは、第2講内の『人間の死はどこからか?』という議題。
講義内では、感情や人格を司る機能をP機能(人格(パーソン)機能)、
心臓の拍動や、食べ物の消化を司る機能をB機能(身体(ボディ)機能)と定義している。
最初、人間の死はB機能が停止したらと定義して講義を進めたのだけれど、
交通事故や脳梗塞などでP機能が先に停止したらそれは死ではないのか?という半論が出る。
なるほど、それは死だよなぁ。なんて思いながら読み進めていくと、
P機能が先に停止することが死であるなら睡眠はどうだろうか?
睡眠が死じゃないなら、P機能の停止を死とする場合、どこで定義するのか?
と、こねくり回して掘り下げていく内容。
くどく感じる場面もあるけど、確かに・・・なんて思ってしまう場面も多々ある。
このような展開を各章のテーマに沿って行うのがこの本の特徴。
作中の言葉、
人生は、何もしないには長過ぎるが、何かをするには短過ぎる
短縮版だったけれど本著単体でも問題ない出來。
死について興味が出たら読んでみては?
完全版も出版されたようです