小説『同志少女よ、敵を撃て(逢坂冬馬 著)』の感想レビュー。
第二次世界大戦中、実際に居たソ連の女性狙撃性を題材にしたフィクション小説!
あらすじ
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。
急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。
自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。
「戦いたいか、死にたいか」
そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。
母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。
同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。
おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵”とは?
感想
主人公、セラフィマが寒村で静かに暮らしていると、ドイツ軍に蹂躙されてしまった。
復讐を誓うセラフィマ。
そして始まる、狙撃兵訓練校編
同僚全員女性で、この訓練校は女性の狙撃兵を作るための学校だったのだ!
ユリユリですわぁ~と思いきや、そこは一人前の兵士をつくる学校。
とっても過酷なのだ。
狙撃に必要な単位1ミル。
1ミル=1000m先にある幅1mのもの
故に「スコープを覗いて幅50cmと推定される物体が1ミルの幅に収まっている」
という状態ならば、距離は500mと計算できる。
しかし、どうすれば「幅50cmと推定される物体が1ミルの幅に収まっている」
などと理解することができるのだろうか。
答えは簡単。
あらゆる物の大きさを頭にたたきこみ、スコープを介して「距離と見え方」を覚えるのだ。
ひえぇ
訓練校を卒業して戦場に立ったセラフィマ達に様々な出会いが・・・
お腹にいる子。その語句に驚くと、サンドラは意外そうな顔をした。
(中略)
「それ、つまりフリッツの子?」
「いいえ、その前から。前の夫の子よ。この子を産むために、私は生きてきた」
めまいがする間隔だった。
前の夫の子を身ごもり、その子を産むために生きる。
そのために敵兵の愛人となり、その相手を心底から愛する。
異様としか言いようのない生き方だが、サンドラの様子はこれまでと違っていた。
迷いがなかった。自らの歪んだ生き方をそのままに受け止めている。
戦争って価値観もすごいよなぁ
セラフィマの同僚たちの目的も千差万別。
セラフィマ自身もなぜ狙撃兵に?なぜ戦場に?
という問いに、「敵を撃つため」と答えたけど、
まさかその”敵”がソ連兵を指していなかったなんてなぁ・・・
実際にこんな女性狙撃兵がいたのでは?
なんて感じてしまう小説でした。