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【燃えよ剣】これは新選組ではない。土方歳三の生きざまを描いた本なのだ【司馬遼太郎】

小説『燃えよ剣』表紙

小説『燃えよ剣(司馬遼太郎 著)』の感想レビュー。

もくじ

あらすじ

武州多摩の田舎剣士、近藤勇、土方歳三とその仲間が、
清川八郎の率いる幕府徴募の浪士組にまじって京へ上がったのが文久三(1863)年の二月。
曲折を経て、同じ尊皇攘夷であった浪士たちが討幕へ傾いてゆく時勢のなかで、
ひとり近藤、土方の新選組は佐幕の道をつき進み、京都守護の会津藩の先兵となって、
池田屋襲撃などを決行し、長州藩、土州藩ほかの増悪の的になっていった・・・。
---その新選組を創り上げた土方歳三は、最後まではげしく時流に抵抗し、滅びゆく幕府に殉じた。
稀代の漢の生涯を巧みな物語展開で描いた傑作長編小説。

感想

最初は新選組の話だと思っていたけど、土方歳三の話だった。
田舎武士の幕府徴募の浪士組として京に上り、
新選組を結成、解散。
薩長同盟を相手に戊辰戦争へ・・・
という流れ。
この激動が六年間の出来事ってんだから驚き。

新選組っていうと、刀で切り合うイメージで、
戊辰戦争っていうと、軍艦や銃でドンパチやる近代戦ってイメージ。
それが6年の間の出来事なんだもんなぁ
時代の移り変わりってすげぇ

司馬遼太郎節(筆者曰く・・・とかの脱線)はあるものの、とても読みやすい文体。
歴史小説だからって敬遠してたらもったいない!

主要人物が簡単に死んでいくのでハラハラドキドキ。
しかもそれが日本の歴史として確実に在った出来事だっていうんだから・・・

オススメです!

デザインは新装版がカッコイイ!!
上巻が新選組の対服で、下巻が戊辰戦争時の洋装。

燃えよ剣新装版
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印象が変わった人物

近藤勇

新選組局長スゲーって印象だったのが、
人を惹きつけるけど、能力はそこまでって印象に。
祭り上げられた神輿に感じてしまった。
新選組をまとめ上げるためのシンボル的存在。

イケイケの時は実力以上の力を発揮するけど、
劣勢の時は一気にポンコツ化。

最後は、話し合いでなんとかなる!
と読み違えて処刑されてしまった・・・

土方歳三

鬼の副長。
逆らうヤツは皆殺しなイメージだったけど、
それは近藤局長を慕わせるための演技だった?

洋式装備の薩長軍に負けると、
自軍にも洋式装備を普及させるなど、柔軟な思考の持ち主。

新選組初期メンバー

斎藤一、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、山南敬助
色々な作品に出ているので燃えよ剣のキャラクターとの違いは色々感じた。
どれが正解というのは無いのだけれど。

沖田総司だけは、他作品と共通したイメージだった。

七里研之助

読むまでまるっきり知らない自分物。
作中の中ボスとして君臨。

なかなかに良い悪党っぷりだった。

徳川慶喜

徳川家最後の将軍。
渋沢栄一の話でみる慶喜像とは違う感じ。
新選組視点だと逃げ足の速い裏切りもの。

作中の言葉

「近藤君、土方君。もう一度、新見錦切腹の理由をうけたまわろう」
歳三が微笑した。
「士道不覚悟」
歳三も近藤も、芹沢のいうようにいかなる藩にも属したことがない。
それだけに、この二人は、武士というものについて、鮮烈な理想像をもっている。
三百年、怠惰と慣れ合いの生活を世襲してきた幕臣や諸藩の藩士とは違い、
「武士」という語感に初々しさをもっている。
だけではない。
(中略)
この地は、天下に強剛を誇った坂東武者の排出地であった。
自然この二人の士道の理想像は、坂東の古武士であった。
惰弱な江戸時代の武士ではない。

周りに引かれようとも、憧れを体現する変態達の図。

(むなしすぎる・・・)
歳三は、黄ばんだ畳に眼を落とした。
自分に対し、なんともやりきれぬ気持ちだった。
(中略)
一瞬で、過去が褪せてしまった。
(過去の綺羅を褪せさせぬためには、別の場所を用意して逢うべきであった)
過去には、それだけの用心と知恵が必要だと思った。

分かる!
思い出補正で美化されていて、再体験すると「こんなもんだっけ・・・」って思う感覚分かる!
過去は過去のままにしておいたほうが幸せなのかもしれないね・・・

---百姓あがりめが。
事実、山南はそんな気持ちだった。
しかし、歳三の心底にも叫び出したいものがある。
理想とは、本来子供っぽいものではないか。

子供は凄いよね。
自分のやりたいことしかしない。

金とか地位とか評判とかさ、
そういうくだらない不純物が入ってない。

理想って、やりたいことの純粋培養だよ。不純物なし。
そういう意味で子供っぽくなくちゃいけないよね。

「新選組てものはね、本来、烏合の衆だ。
ちょっと緩めれば、いつでもばらばらになるようにできているんだ。
どういうときがばらばらになるときだか、知っているかね?」
「さあ」

「副長が、隊士の人気を気にしてご機嫌取りを始めるときさ。
副長が、山南や伊東みたいにいい子になりたがると、にがい命令は近藤の口から出る。
自然憎しみや毀誉褒貶は近藤へゆく。
近藤は隊士の信を失う。隊はばらばらさ」

共通の敵を作って一致団結するってことかな?
組織運営でそこまで考えていたとは・・・

「刀とは、工匠が、人を切る目的のためにのみ作ったものだ。
刀の性分、目的というのは、単純明快なものだ。
兵書とおなじく、敵を破る、という思想だけのものである」

「しかし見ろ、この単純な美しさを。
刀は、美人よりもうつくしい。
刀のうつくしさは、粛然として男子の鉄腸をひきしめる。
目的は単純であるべきである。
思想は単純であるべきである」

機能美の先には美しさがある。
※この会話で言いたいのはそういうことじゃないけど・・・

(青春はおわった---)
そんなおもいであった。
京は、新選組隊士のそれぞれにとって、永遠に青春の墓地になろう。
この都にすべての情熱の思い出を、いま埋めようとしている。

こういう場所、僕も作りたいです。

政治家がもつ必須条件は、
哲学をもっていること、
世界史的な動向のなかで物事を判断できる感覚、
この二つである。

幕末が煮え詰まったころ、薩長志士の巨頭たちはすべてその二要件をそなえていた。
近藤には、ない。

バッサリw
でもモヤモヤはしていた模様。

政治家には哲学が必要なのか・・・

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