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【ソクラテスの弁明】【プラトン】偏屈おじいちゃんの曲げない信念

『ソクラテスの弁明(プラトン 著)』の感想レビュー。

哲学・思想関係でよく見る岩波文庫の青いヤツじゃなくて、光文社のほう。
両方ともあったんだけど、
古いと読み辛い経験があったので、より現代語訳されているであろう新しいほうをチョイス。

岩波文庫版・・・1964年発行
光文社版・・・・2012年発行

もくじ

内容

全 216ページ
うち、
本編 90ページ
解説 60ページ
プラトンの著書紹介 35ページ
その他 31ページ

本編、半分以下なの!?
プラトン著書紹介とかいらなくね!?
など、突っ込みの多い本。
古典哲学なんてそんなものなのかもしれない。

俺のソクラテス予備知識

得意技:無知の知

昔々起源よりも昔、ギリシャのアテネという国があったそうな。
アテネでは「絶対的な真理なんて存在しない!価値観なんて人それぞれさ!」
なんていう、相対主義が流行していた。

相対主義の考えが蔓延すると、
「どうせ人それぞれなんだし、適当でいいんじゃな~い?」
なんて、一生懸命考えることを放棄して堕落してしまう。

民主主義では、何事も「多数決」で決める。
多数決を有効にするためには事前に各々の正しさ、価値観、信念をぶつけ合って議論していく必要がある。
そうして、初めて「多数決」によって「収まる場所に収まる」ように機能する。

のはずなんだけど、相対主義に毒され、信念の無い民衆は、口の上手い政治家や、それっぽい話をする扇動家に投票し採用てしまう。

民主主義国家アテネも衆愚政治へと傾き始めていた・・・

そんなどうしようもない衆愚政治に鉄槌を下す男が現れる!
その男の名は『馬にまとわりつく虻』こと、ソクラテス!

敵は、相対主義を駆使した弁論術を操る当時最強の論客(ロジカリスト)たち。
まともに議論しても、相対主義の詭弁に振り回されて煙に巻かれるだろう。

そこで、ソクラテスは往来で馬鹿のふりをして近づき、
「先ほど、正義と言っていましたが「正義」とはなんですか?」
と質問した。

相手は、「みんな(国家)の幸せだよ」と答える
ソクラテスは「幸せってなんですか?」と、延々に質問していった。
繰り返すうちに、相手は答えられなくなる。

すかさず、「あれれー?おかしいぞー?」
「答えられないってことは、あなたはそれを知らないんですよね。知らないのに今までに語っていたんですね(笑)」
と、論破?していった。

次々と論破していくうちに、論破された政治家や金持ちに恨まれて、ソクラテスは裁判にかけられ死刑を宣告されてしまう。
かくして、ソクラテスの一生は70歳で幕を閉じたのである。

ホントウを求める

小学生譲りの「なんで?なんで?」口撃をする挑発ジジイ。
嫌がらせでやっていたんじゃなくて、ソクラテスは、絶対的、普遍的な価値、「ホントウの何か」を人間は追求すべきだ!
という信念を持っていた。

ソクラテスは「価値観は人それぞれ」というのを許せなかった。
「ホントウ」を追求しない世の中が許せなかった。

相対主義の思想に傾いた世の中を変えたくて、相対主義を信仰する知識人に喧嘩を売りまくっていた。
なんで?なんで?口撃でコテンパンに倒した後に、

「ホントウって何?あなた方は知っているかのようにに語っていたけど、誰も何も分かっていなかった」
「もちろん私も分からない。ホントウ(真理)って一体なんなんだろう?一緒に探そうよ」

と問いかけてた。
そしたら裁判にかけられちゃった。

信念、裁判でも折れず

知識人たちの怒りを買って裁判にかけられたソクラテス。
裁判での自己弁護タイムでも煽る煽る。

「アテナイのみなさん、告訴状が主張する不正を犯していないのは分るよね?」
「アテナイのみなさん、もし私を死刑にしたら簡単にはこんな人物みつかりませんよ」
「アテナイのみなさん、議論しろ。吟味しない人生はクソ」
「アテナイのみなさん、無知の自覚こそが真理への情熱を呼び起こす」

※本編は、演説口調な文章
 アテナイ→アテネのこと
 毎回、毎回、「アテナイのみなさん」って言うんだよ。
 意訳で読みやすいのあればな~

ソクラテスが伝えたかったこと

ソクラテスの有名な『無知の知』
「知らないということを知っている私は謙虚で偉い」
という詭弁。ではなかった。

「知っている」と思っていたら「知りたい」とは思わない。
「知らない」と思うから「知りたい」と思う。

そういった「無知の自覚」こそが「真理への情熱」を呼び起こすものだとソクラテスは考えた。
その情熱を広めようと、偉い知識層にアプローチしたけど駄目だった。
逆恨みをされて、罪をでっちあげられて裁判にまでかけられた。

ソクラテスの真理への情熱は裁判中の弁論でも曲げなかった。
いくらでも自分を有利に進めることができたのに。

判決で死刑を宣告されても真理への情熱を曲げなかった。
減刑を求刑できたのに。

そして死んだ

ソクラテスは死によって、
「世界には命を賭けるに値する心理が存在する」
「人間はその心理を追求するために人生を捧げる強い意思を持っている」
ということを証明した。

真理のためなら死をも厭わない生き方。
その情熱は、若者たちにはしっかり伝わっていた。

感銘を受けた若者たちは、
そして決して相対化することの出来ない真理(ホントウ)、「絶対的に真だと言える理想の何か」
を追求する哲学体系を作り上げていくことになる。
真理を見つける途方もない研究は、現代でも連綿と受け継がれている。

感想

煽るだけ煽って、裁判でも自分を曲げないでなんて偏屈な爺さん
and
自分の譲れないものは、他者にどう評価されようと、自分の命を天秤にかけられようと曲げてはいけない偏屈な爺さん
半々くらいの評価。
つまり、偏屈な爺さん。

それでも、熱意に打たれた弟子たちが沢山いて、
弟子たちが裁判中の弁明を本にして、2000年以上も未来でも読まれているってことは、偏屈だけど凄い熱量を持った爺さんだったんだろうね。

すげー爺さんだったんだけど、俺が理解するにはまだまだ知識がたりない。
ソクラテスが伝えたかったホントウを読み解けていない。
でも、『分からないこと』が『分かった』から、これから『分かろうとする』・・・はず

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