「身だしなみをちゃんとしなさい!」
「みんな見ているんだからね!」
「毎回同じ服を着て!」
こんな言葉を親に言われたことはないだろうか?
俺は母ちゃんに良く言われていた。
ファッションに興味がない俺は、親にダサい、ダサいと言われ続け、
※今でも言われる
人と関わるのが苦手になっていったのである。
・・・ただの責任転嫁だけれど。
そんな状況から年を重ねて、未熟ながら精神が自立し、自律しはじめたとき、ふと思うことがあった。
(そんなに、他人のファッションって気になるか?)
ドレスコードが必要な場所、
面接で私服とか、
結婚式で喪服とか、
街中で裸とか、
以外でさ、
もくじ
そこまで他人の服装って気にするかい?
だっせー服着てるな。
なんて会った時は思うかもしれないけど、翌日には忘れてるっしょ。
あいつ、ダサくね?かっこよくね?ってお前の評価するほど、暇じゃないし、
他人は自分が思っているほどお前を気にしてねーぞ
じゃあ何を見るのかって?
「顔」に決まってんだろ!
服装なんかどうでもいいんだよ。
どんなイかした格好してても、顔が汚い人、
自分に自信が無い、
不幸を背負っている、
人間的な不細工、
だと台無しだからよォ!
人間的な不細工は外科(内科)で治療するとして、
生き様を顔に乗せることが大事。
自分が満足している生き方なら、イケ顔になっているからよ。
じゃなんで良いカッコすんの?
自己満足。
やっぱね、自分が気に入った服装に鍛えた身体を重ねて、清潔感をミックスするとね、気持ちがアゲアゲよ。
なにやっても気持ちいいし、作業効率ストップ高。言うことなし。
結論
親の教育というのは子供の人生に影響を与える。
俺の母親は、他人に映る自分像を良くさせる教育をしてきた。
協調性とか社会性とかね。
そうすると、他人の目を気にする子供に育ってしまった。と。
他人の顔色ばかり窺って育ってきたわりには、いまだに”普通”ってのがなんなのか分からない。
これはもうね、適正がなかったとしか考えるしかない。
成長してさ、
「他人は自分が思っているほどお前に関心が無い」
って分かってから、生きるのが凄い楽になった。
他人の目を気にして委縮してないで、もっと自分が楽しめること、やろうよ。
楽しく充実して生きようよ!