『国盗り物語2巻 斎藤道三 後編(司馬遼太郎 著)』の感想レビュー。
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もくじ
あらすじ
気運が来るまで気長く待ちつつ準備する者が智者。
気運が来るや、それをつかんでひと息に駆け上がる者が英雄。
---それが庄九郎の信念であった。
そして庄九郎こそ、智者であり英雄だった。
内紛と侵略に明け暮れる美濃ノ国には英雄の出現を仰望する機運が満ちていた。
”蝮(マムシ)”の異名にふさわしく、周到に執拗に自らの勢力を拡大し、
美濃の大守となった斎藤道三の物語。
名前の推移
長井新九郎
一巻終了時点での名前。
長井利隆が病没するまえに家督を譲ってもらったため、長井姓を名乗ることに。
・・・ホントに病気で死んだのかな?
斎藤左近太夫英龍
さいとう・さこんだゆう・ひでたつ
美濃の国主、土岐頼芸より斎藤家の後を継ぐように誘導し家を奪った。
「斎藤の家をつぐがよかろう」
と庄九郎にいったのは国主の土岐頼芸である。
庄九郎が頼芸にそういわせるように仕向けて行ったこともたしかだが、
しかし斎藤の宗家がほとんど死に絶えたも同然で、
---名家の名跡が耐えるのは惜しい。
という正当な理由もあった。
斎藤道三
息子義龍に家督を譲り、出家して道三に改名。
これが最終形態。
感想
僧侶から乞食になって最後は一国一城の主まで。
文字通り斎藤道三の国盗り物語だった。
道三自身は、天下人になる計画だったけど、老齢になるにつて
自分は天下が取れないと悟ってしまうところが悲しい・・・
年を取り、家臣たちの機微に疎くなり、最後は息子に謀反されてしまった。
史実を小説に落とし込む司馬先生の技術はお見事!
実際はどういう理由で謀反おこされちゃうんだろうね?
本著みたいな展開だったのかな?
そうなると、政治利用したらさっさと息子を謀殺するべきだったんだけど、殺せなかった。
もっと非常にならねばならない世の中だったんだよ・・・
天下を盗る予定だった道三。
そのバトンは信長に渡されるのであった・・・
【国盗り物語3巻】道三死後、物語は織田信長と明智光秀の二人に【司馬遼太郎】
人の動かし方
人間とは、
1.恩を忘れやすく
2.移り気で
3.偽善的であり
4.危機に際しては臆病で
5.利にのぞんでは、貪欲である
だから、第五条の利を与えるために、京の山崎屋の巨富をどんどん美濃へ運びこんで懐柔し、
かつ、第四条の臆病という人間性に対しては、
「従わなければ、敵として討つ」
とおどしをもってむかった。
相手によって対応を使い分けるの普通なんだろうけど凄いよな~
人間は、つねに名分がほしい。
行動の裏づけになる「正義」がほしいのである。
欲ぼけで移り気で臆病な人間ほど、いざ新奇な行動に駆り立てられようとするとき、
---頼むからおれの行動は正しい、といってくれ。
という護符を、指導者に請求するのだ。
庄九郎はこの合戦を、
「謀反人討伐の義戦である」
との護符をばらまいた。
人間の偽善性に訴えた。
この護符のおかげで、稲葉城下に馳せ参ずることが
「蝮の武威におびえた」ことでもなくなり、
また「蝮の富力に懐柔された」ことでもなくなった。
優柔不断のヤツらにはそれらしい理由を持たせてやれば、
不審に思っていても自分で自分を騙してくれるようだ。
【国盗り物語3巻】道三死後、物語は織田信長と明智光秀の二人に【司馬遼太郎】