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【十二人の死にたい子どもたち】安楽死の集いに部外者が!?どうするどうする?【堤幸彦】

映画『十二人の死にたい子どもたち』表紙

映画『十二人の死にたい子どもたち(堤幸彦 監督)』の感想レビュー。

小説が面白かったので映画を見てきた。
感想は小説との比較が多めになるので、
純粋に映画の感想を求めている人には悪しからず。

あらすじ

その日、12人の未成年たちが、安楽死を求め廃病院の密室に集まった。
「みんなで死ねば、怖くないから」ところが、彼らはそこで13人目のまだ生あたたかい死体に遭遇。
突然の出来事にはばまれる彼らの安楽死。
あちこちに残る不自然な犯行の痕跡、次々起こる奇妙な出来事。
彼らだけしか知らない計画のはず。
まさかこの12人の中に殺人鬼が……?
死体の謎と犯人をめぐり、疑心暗鬼の中ウソとダマしあいが交錯し、12人の死にたい理由が生々しくえぐられいく。全員、ヤバい。気が抜けない。
いつ誰が殺人鬼と変身するのか!?パニックは最高潮に。彼らは安心して“死ねるのか”怯えながら“殺されるのか”

感想


施設に子どもたちが集まる演出がホラーっぽかった。
煙草の吸殻とか、妙な部分にカメラのフォーカスが当たっていてなんぞこりゃ?って感じ。
・・・僕は原作読んでるから知っているんですけどね。フフフ


黒フード演出は何を伝えたかったんだろう?


原作:実母の不摂生により、生まれながらのアルコール中毒&梅毒
映画:実母の不審火により、家事に巻き込まれる

大人の都合で変更したのかな?
この動機だと、『最初から生まれるべきではない』理論が弱くなるような?


状況によって変わる天気きらい
地下なのにやたら稲光演出しやがって・・・!


最後、みんなで施設を後にするシーンは、なんであんなにウキウキなんだよ!?
死なないこと、生きることに同意したけど、
ウキウキになるほど受け入れてはいないと思ってたんだけどなぁ


エンディングの『ゼロ番時系列移動編』は映像ならではの演出。ええぞ!


原作を知っているとどうしても比較してしまうね。
自分の持ってる各キャラクターとのイメージ象ってずれる。

ただ、性格の強調は出来ていたと思う。
特に高圧的なキャラクター、アンリとメイコのウザさは映像にすることで増し増しになってた。

逆にシンジロウの知的さは下がってたかな。

セイゴは武闘派チンピラだと思ってたけど、ヒョロヤンキーだった。

一番よかったのはノブオ。


映画は時間内に抑えるためにどうしてもカットしなくちゃいけない。
※招集理由のアンケートのくだりとか

原作の会議室で行った掛け合いを関連付けられたキャラ同士が探索中に行うのはナイス時短。
ただ、その掛け合いを他のキャラクターが共有できていないのがお互いの理解不足を生んでしまいそうだけど。

時間内に綺麗にまとまってた作品でした。

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